ブックタイトルtaninaka_yasunori

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0001918年(大正7)、家庭の事情で、豊山中学は中途退学を余儀なくされる。安規にとって、長い長い放浪の人生が始まる。 最初は学校の世話で、木更津の正福寺で小僧生活をしていたが、それも一年と続かず、日本と朝鮮を行き来し京城の実家に滞在することもしばしばであった。絵を描くようになると、安規は全くの独学であるが、土蔵に籠り蝋燭の灯火で素描や版画の制作に没頭していた。あるときは店の金庫からお金を持ち出し、芸妓をモデルに習作を重ねることもあったという。異母弟も生まれていたが、安規は長男だったにもかかわらず家業に見向きもせず、父子の関係はかなり険悪なものだった。 東京に舞い戻ってくると安規は、中学の同級生に頼ることが多かった。榎本憲阿がいる飛鳥山の不動堂本智院で雑務をしながら寄食し、市原・五井の龍善院では居候として住み込んでいたこともある。ここらが不思議なのだが、安規はなぜかめったやたらに居候を繰り返している。一時期は西ヶ原の梅原龍三郎宅の玄関番のようなこともしていたらしい。本郷では小説家高橋源吉、ドイツ文学者石川道雄、版画家清水孝一、芝・高輪の第一書房、上田治之助の神田・上田書店など、知り合いを訪ねては食べさせてもらい、それを許してくれる人たちの存在があることもまた不思議である。たまには木賃宿にも泊まるが、ともかく定住ということにはほど遠い生活である。放浪人生へ