フウシガガエガイタジャパン

風刺画が描いたJAPAN

世界が見た近代日本  

若林悠 編著

発売日 2021/11/24

判型 B5判   ISBN 978-4-336-07267-2

ページ数 224 頁   Cコード 0071

定価 4,180円 (本体価格3,800円)

【内容紹介】

世界は日本をどのように見ていたのか。幕末から太平洋戦争期に至る世界各国の風刺画を集成し、時代背景の詳細な解説を付してオールカラーで大集成した決定版。150点あまりの風刺画を通じて、「日本」イメージの生成と展開を追う画期的ビジュアル・ブック。

《特別寄稿・本書について――家近良樹(大阪経済大学教授・日本近代政治史)》
〈はじめに〉
終始一貫アナログ人間の極致とでもいった立場を持してきた私は、若い時分から、これはと思う書物や資料に出合った際には、大学ノートに詳細に、内容と自身の感想を綴る作業を楽しんで続けてきた。数えたこともないし、また散逸したものも相当あるので、ハッキリとした数は不明だが、おそらく優に500冊を超える数となるのではないかと思う。むろん、本書もその対象となり、大学ノートにびっしりと書いた分量は23頁分となった。

そうしたことはさておき、本書最大のテーマは、日本人をも含む世界の風刺画家たちの目に、近代の日本がどのように映っていたのかを探ることだ。風刺画とは、著者によれば、「社会の憂鬱な出来事を批判精神にユーモアを添えて一つの絵の中に凝縮させたもの」だという。そして、いまだ「写真が一般化していない頃」においては、「風刺画は世相を視覚化する唯一のツールだった」とされる。
もちろん、日本国内では、長年にわたって美人画や役者絵を中心とする錦絵が多く描かれたが、「政治風刺という新しいジャンル」が登場するのは、幕末最終段階・明治初期となる。
いうまでもなく、発言や表現の自由が格段に緩やかとなったのをうけてのことであった。世界的にみれば、フランス革命を実現したフランスなどが風刺画誕生の先駆地となるが、日本でも幕末期および明治期に入ると、ようやく風刺画の世界が開けたのである。

〈1.本書が出版されたことの意義〉
ところで、日本史(なかでも幕末維新史を柱とする日本近代史)を専攻してきた私には、日本に関する風刺画といえば、ジョルジュ・ビゴーの描いたものぐらいしか馴染みがないが、本書で初めて世界各地で描かれた風刺画の実態を知りえた。ということは、これまで日本風刺画の研究はそれなりにあって、ほんの少々、私なども、その恩恵に与ったが、世界の風刺画の総括的な研究は、本書の登場によって始まったことを意味する。そして、本書が出版されたことの最大の意義は、この点にある。

それはそれとして、私は十代で活字の世界にどっぷりと浸かることになったので、漫画も含め、視覚的な世界には縁が遠い。そうした中、本書を手に取って、「画」そのものの持つ力というか「面白さ」に気づかされた。たとえば、本書には、オランダ人によって1932年の時点で描かれた風刺画が収載されている。それは「中国」という名の象を飲み込もうとする「日本」という名の蛇の姿である。蛇は、「満州」「上海」と書かれた象の鼻の部分はなんとか飲み込めたものの、もがき苦しんでいるように見える。
考えてみれば、本来、小国である「日本」が、いかに富国強兵に成功しつつあったとはいえ、はるかに図体の大きい相手を飲み込めるはずはなかった。こうしたことを、オランダ人の手に成る風刺画は、たったの数秒で、後世の我々に教えてくれるのである。画の持つ力(面白さ)であろう。同様のことは、バブル時代、高度経済成長期の真っただ中にあった日本が、巨大な力士として土俵の上でごく小さなイギリスのビジネスマンと向き合っている、1987年作の風刺画(イギリス人作)についても一枚でもって教えられる。いずれにせよ、その時代々々に特有のありようや雰囲気とでもいったものが、たった一枚の風刺画によって、肌感覚で実によく伝わるものだと感心させられる。

なお、本書には、薩摩出身の政治家だった黒田清隆の妻殺しの一件が紹介されているが、ここで私が最近仕入れた情報を一つだけ紹介しておきたい。それは明治天皇の侍講を務めた山岡鉄舟にまつわるものである。鉄舟の弟子が、後年師匠を偲んでまとめた評伝中に、若き日の黒田が人斬り中毒状態にあったことが記されている。私は、本書で黒田の件が取り上げられた箇所を読んで、右のエピソードと黒田の妻殺しの件を重ね、そのことで黒田の抱えた心の闇の深さに思いが至った。本書をこれから読まれる方の参考になればと、あえて付け加えることにした。

〈2.私が知りえた史実と面白い解釈〉
さて、私は、本書を精読する過程で、いままで知らなかった史実と面白味の感じられる解釈を幾つか知りえた。その一は、風刺画は、江戸で出されたものが圧倒的で、上方(なかでも京都)では見られないとの指摘である。いくら天皇の住む御膝元であったとはいえ、風刺画が残されていないというのは、私にとっては魔訶不思議なことだった。その二は、かねがね気になっていた文豪森鷗外の子供たちの名前にまつわる著者のユニークな推測に関してである。すなわち、広く知られているように、鷗外は自分の子供にスケールの大きな名前を、それぞれ付けた。これを、著者は鷗外の外国好きによると見なした。たとえば、長男の於菟(おと)はオットー(つまりビスマルク)、長女の茉莉(まり)は、マリアンヌ(フランスそのものを表す擬人化キャラクター)にもとづくといった塩梅である。私には、この解釈が存外、面白かった(次男、次女等については、本書を参照されたい)。

〈おわりに〉
最後に、私の専門領域である幕末維新史との関連で強く印象に残ったことを記して、私に課せられた責めを果たしたい。本書には、一介の中佐にすぎなかった石原莞爾が強引に自分の思う方向に国を引っ張っていった史実(その象徴が満州事変の勃発)が紹介されている。また1930年代に民間右翼や陸・海軍の軍人たちによって、さかんになされたテロ行為によって、政局が大きく左右され、結果として、日本国が1945年の敗戦への途をたどった経緯が綴られている。
この箇所を読んでいて、改めて安政五年(1858)に日米修好通商条約を強引に調印した幕府首脳を痛烈に批判した孝明天皇の密勅が出されたあとの幕末史を思い浮かべた。すなわち、大老井伊直弼の暗殺とそれに引き続く、文久期(1861~3)の「天誅」と称するテロ行為等が、最終的に江戸期の体制をあっという間に打倒した過程をである。歴史は、同じようなことを繰り返すというが、このことは同時に、いかに歴史から学べないかという、厳粛な事実を我々につきつけてくる。残念なこと限りなしである。

【著者紹介】

若林悠 (ワカバヤシユウ)

同志社大学文学部卒。風刺画収集・研究家。著書に『風刺画とアネクドートが描いたロシア革命』『風刺画とジョークが描いたヒトラーの帝国』(ともに現代書館)がある。