タカハシシュウフジタサクラ ステキナフタリ

高橋 秀+藤田 桜――素敵なふたり

高橋秀/藤田桜 画

発売日 2019/07/05

判型 B5変型判   ISBN 978-4-336-06361-8

ページ数 234 頁   Cコード 0070

定価 2,640円 (本体価格2,400円)

【内容紹介】

 ちょっと心がくすぐられる、生命感あふれる有機的なフォルムの作風で知られる高橋秀は広島県福山市で生まれ、1961年に安井賞を受賞する。いっぽう藤田桜は東京に生まれ、現在の大妻女子大学を卒業後、『ひまわり』の編集者として若き日を過ごす。
 やがて、ふたりは出会い、1958年に結婚、新居を世田谷の地とし、新生活をスタートさせるが、1960年代のはじめにはイタリアにわたり、2004年までの41年間、ローマを暮らしと制作の拠点とする。
 高橋は現代美術作家としてヨーロッパ各地、そして日本でも作品を発表し、藤田は布貼り絵という独特な表現で、子どもむけ図書の表紙絵や、絵本の制作を重ねる。帰国後、ふたりは岡山県倉敷市の沙美海岸にアトリエを構え、それぞれに作品の制作を続ける。
 東京、ローマ、倉敷の日々のなかで生み出された豊かな作品たちを、ふたりの歩みと、その創作の軌跡とともに紹介する。
 2019年7月の世田谷美術館を皮切りに、倉敷市立美術館、伊丹市立美術館、北九州市立美術館を巡回する、展覧会「高橋 秀+藤田 桜――素敵なふたり」公式図録。

【著者紹介】

高橋秀 (タカハシシュウ)

 1930年、現在の広島県福山市に生まれる。旧制中学校卒業後、美術家への道を心に決め、上京。一時期、武蔵野美術大学に籍をおくが、独学の道を選ぶ。1951年から東京都世田谷区に住み、画家・緑川廣太郎からの助言もあり、画業に専念する。翌年に第20回独立美術協会展に入選した。
 1950年代の後半から版画家・駒井哲郎、画家・古茂田守介らと親交をもち、相互に影響を与え合う。1958年、藤田桜と結婚。1961年に画壇の芥川賞とも言われた安井賞を受賞。しかし、日本画壇のありように懐疑をいだき始めていた高橋は、1963年11月、イタリア政府招聘留学生としてローマに渡り、2004年に帰国するまで41年間にわたり、イタリアで暮らし、作家活動を行った。平面、立体、版画、モニュメントなど、幅広いジャンルを拓き、池田満寿夫監督の映画「エーゲ海に捧ぐ」では美術監督、スチール写真を担当した。
 1993年、ローマ国立近代美術館で個展「高橋秀 ローマ30年展」が開催された。イタリア各地で発表を重ねるかたわら、1996年から、倉敷芸術科学大学教授に就任し、イタリアと日本を往復する生活を始める。
 2004年に帰国後は、岡山県倉敷市に居住し、秀art studioを創設、地域文化の発展にも尽力する。また2006年、妻・藤田桜とともに、若いアーティストに海外経験の場を与えるための秀桜基金を創設し、2015年までの10年間に28名を海外に送り出した。

藤田桜 (フジタサクラ)

 現在の東京都豊島区に生まれる。大妻女子専門学校(現・大妻女子大学)在学中より、中原淳一の服飾雑貨と洋裁の店・ヒマワリに足繁く通う。
 1946年、中原が主宰し、創刊を準備していた少女向け月刊誌『ひまわり』に編集部員として参加。翌年『ひまわり』が創刊されると編集の仕事に加え、手芸やアクセサリー、人形作りの頁を担当した。また仕事の傍ら、画家・猪熊弦一郎の田園調布純粋美術研究所に通い、デッサンなどを学ぶ。
 1950年、『ひまわり』編集部を離れフリーとなり、少女・婦人雑誌、手芸誌、幼児絵本などに挿絵、創作人形、手芸、童画などを発表。1952年の創刊号から1989年の3月号まで、37年間にわたり、布貼り絵によって学習研究社の月刊絵本『よいこのくに』の表紙をかざった。
 1958年、高橋秀と結婚。1964年、夫のイタリア留学に伴いローマへ渡る。以後、イタリアから日本の出版社に作品を送り続け、夫とともに作家活動を続けた。1971年、最初の絵本『ぴのっきお』を出版。1975年、布地コラージュによる絵画制作をはじめ、ヨーロッパと日本の画廊で作品を発表する。
 2004年、帰国してからは岡山県倉敷市に居住。ローマでの生活を綴ったエッセイを出版するほか、句集を編むなど、多彩な創造を続けている。