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3 小お田だ富とみ弥や(一八九五~一九九〇)は、大正末から昭和初期にかけ大衆文学の開花とともに、時代小説の挿絵に新境地を拓いた挿絵画家です。 林はやし不ふ忘ぼうの「新版大岡政談」では、隻せき眼がん隻せき手しゅのニヒルなヒーロー・丹た ん下げ左さ膳ぜんを描き出し、また、時代小説の新しいジャンルとして生まれた「股旅もの」では、それまでなかった渡と世せい人にんのイメージを具体的に描くことに成功しました。縞の合羽に三度笠スタイル……世間から疎外され、各地を流れ歩く一匹狼のヒーロー・孤独な渡世人=アウトローの義理人情の世界を、富弥は軽妙かつ躍動感あふれる筆致で描きました。 一七歳で日本画家・北野恒つ ね富とみに入門して研鑽を重ね、江戸の浮世絵師・歌川国芳からの流れを受け継いだ富弥は、中な か一かず弥や・木き俣また清きよ史し・野口昴こ う明めいら多くの門下生を育てています。 本書では、時代小説全盛期を飾り、群を抜く卓越した筆さばきで多くの時代小説を彩った挿絵画家・小田富弥の軌跡をご紹介いたします。生い立ち 小田富弥は明治二八年(一八九五)七月五日、岡山県に生まれた。本名は大西一太郎といい、ペンネームの「小田」は、母・ハルの姓である。母は油問屋の娘、父は木版の版下を扱う仕事をしていたという。生まれてまもなく九州の博多に転居し、博多で育ったが、三歳のとき大阪の博労町に移った。 一五、六歳の頃、書家の玉た ま木き愛あい石せき【※1】に字を習い、その後、図案家・川かわ崎さき巨きょ泉せん【※2】のもとで修行した後、日本画家・北野恒富に入門した。継承される歌川派 江戸浮世絵師の一派である歌川派は、歌川豊春から豊国、国くに芳よし、月岡芳よし年としとつづき、芳年から右み ぎ田た年としひで英→ 鰭ひ れ崎ざき英えい朋ほう→ 神じん保ぼ朋とも世よ、水野年方→ 鏑か ぶらき木清きよかた方→伊東深水、稲いな野の年とし恒つね→北野恒つね富とみ→小田富弥、と図のように大きく三つの流れに分れて継承されている。 歌川派のなかで常に注目されるのは年方からの流れで、清方と深水の名は近代日本絵画史において、華やかなイメージがある。 それに対し、年英→英朋→朋世の流れと、稲野年恒→北野恒富→小田富弥の流れはやや見落とされがちで、それは、北野恒富を除いて、彼らが最後まで挿絵画家として生きたことに大きく関係している。 挿絵画家は、新聞・雑誌を舞台に現役で活躍し続けることが肝心であって、常に読者の好みや時代の空気とその変化を読み取らなければならない。読者の人気を獲得した者だけが一流の挿絵画家として活躍し、その厳しく華やかなレースから一旦消えるとたちまち忘れられてしまうのが宿命といえるだろう。 江戸時代の浮世絵の大家・歌川国芳門下の月岡芳年は、明治期において異彩を放つ浮世絵師である。歴史・美人・役者・風俗・古典など幅広いジャンルの浮世絵を手がけ、錦絵シリーズをつぎつぎと発表。「血みどろ絵」「無残絵」で評判を得る一方、錦絵新聞でも活躍した。芳年には数多くの門人がおり、なかでも水野年方・稲野年恒・山崎年信・右田年英の四人は芳年門下の四天王と呼ばれ、さらに、年方・年恒・年英の三人は、三傑と呼ばれた。富弥がしばしば参考にしていたのは、この芳年や年英の作品だった。 稲野年恒は、安政五年(一八五八)、加賀金沢生まれ。東京で月岡芳年に師事し、大阪に移ってからは大阪毎日新聞、大阪朝日新聞の小説に挿絵を描いた。大阪で、赤井恒茂、宮本恒秀、槙岡恒房、川上恒茂、北野恒富、幡恒春、磯部恒延ら多くの歌川派浮世絵の系統を継ぐ門人を育てた。 その年恒に学んだ一人、北野恒富は明治一三年(一八八〇)、年恒と同じ金沢市に生まれ、小学校卒業後は版下を彫る彫刻師となった。一九歳のとき稲野年恒に入門し、新聞挿絵と広告ポスターに携わりながらも、日本画家として活動し、やがて近代大阪画壇を代表する画家となった。明治四三年には文展に初入選し、その後院展に出品して同人となり、大正美術会、大阪美術会を創設するなど、大阪画壇の重鎮として活躍した。北野恒富入門から挿絵画家デビューまで その北野恒富に学んだのが小田富弥である。大西一太郎(後の小田富弥)が恒富に入門したのは、大正元年(一九一二)で、一七歳のときのことだった。門下生は富弥の他に、兄弟子に島しま成せいえん園、弟弟子に中なかむら村貞て い以い、樋ひ口ぐち富とみ麻ま呂ろ、不ふじき二木阿あこ 古らがいた。恒富門下で研鑽を重ね、日本画の基礎を徹底的に学んだ富弥は、歌川派を継承する画家として成長していくことになる。はじめに北野恒富門下で修行中の富弥(19歳)/大正3年撮影歌川派系譜図歌川国芳五姓田芳柳月岡芳年落合芳幾水野年方山崎年信稲野年恒右田年英河合英忠笹井英昭鰭崎英朋伊東英泰北野恒富幡恒春鏑木清方大野静方池田輝方池田蕉園荒井寛方神保朋世石井朋昌中村貞以島成園小田富弥伊東深水寺島紫明山川秀峰中一弥木俣清史野口昴明